2013年3月3日日曜日

脳男

1回観てきました。
『脳男』予告編

原作小説は読んでいないので、原作由来か映画特有なのかは知らない状態で書いてます。

観ていて感じたのは、全てがモヤモヤした作品だなぁということです。
とりあえず思いつくままにその原因を挙げていこうと思います。

○犯人の動機が分からない
この物語もメインの敵役として爆弾魔の緑川(二階堂ふみ)と水沢(太田莉菜)が出てくるのだけれど、こいつらの動機がよく分かりません。

爆弾魔の緑川(黒いほう)と水沢(青いほう)

たしかに「人間爆弾」については「自分たちを否定した人間への報復」という理由が語られてはいるけれど、そもそもなぜ爆弾を使って人を殺しているのかについては特に説明も無いです。これを「サイコな犯人だから理由なんてない」と考える人もいるだろうけど、この意見にはまったく同意できません(理由は後述)。

この部分が無いせいで、なぜ犯人たち(というか緑川)が脳男にこだわり続けるのか、二組の対立軸が見えません。脳男の側は「<正義>を理由に悪人に制裁を加える」という目的がはっきりしているのだけれど。作品中で読み取れる二組の対立というと、「緑川は病気のせいで薬が無いと体が痛むのに対して脳男は痛みを感じない」という点はあるけれど、物語を牽引できるような対立軸ではないしね。

○年齢制限が低いことによる描写の制限
脳男を演じる生田斗真に惹かれる層を考慮してなのか、年齢制限はPG12(12歳未満(小学生以下)の鑑賞には、成人保護者の助言や指導が適当)です。このせいか残酷な描写についてはほとんど省かれています。

脳男はこんな感じ。

例えば、冒頭の「人間爆弾」を作るシーンでは爆弾となる人質の舌を切りとるというシーンがあるのだけれど、ペンチで舌を引っ張り出すだけで引いた画になってしまい、実際に切りとる描写はありません。

こういったシーンが描かれないおかげで爆弾を使うシーンがやたら目立ってしまうのだけれど、その描写もイマイチだと思います。
実際にビルを爆破できないのでCGを使うというのは仕方ないとしても、爆弾の威力の説明とその描写が食い違っているというのはさすがにどうかと思いました。
具体的には、序盤のバスが爆破されるシーンで乗客と思われる男の子がバスの外で助けを求めるところ。その後の事件現場の鑑識を行うシーンで「人間爆弾には丁寧にもボールベアリングまで仕掛けてあって、犠牲者は至近距離でショットガンを撃たれたようなもの」というようなセリフが出てくるのだけれど、じゃあ何であの子どもは生きてたの?他の乗客は死んでるのに?
例えば、バスに乗り遅れたのは鷲谷(松雪泰子)と小学生で、鷲谷は傘を持っていないのでタクシー乗り場まで移動するけれど、小学生は傘を持っていて次のバスが来るのを待っていたところを爆発に巻き込まれてしまう、ということならまだ納得はできるのだけどねぇ。

脳男に精神鑑定を行う鷲谷

先に「『サイコな犯人だから動機は無い』ということには同意できない」と言いましたが、そもそもこの描写の制限の影響でサイコな犯人像そのものが描写しづらいという部分が少なからずあると思うのですよ。少なくとも身体破壊を楽しむような犯人は描きづらくなるし。室井大資『秋津』の第4話でいらか君が漫画家の父に的確にツッこみ続ける「己の破壊願望を満たそうとする爆弾魔」のような描写が出てくるわけでもない。

生まれ持ったマジックタッチで的確にツッこみ続ける秋津いらか君とツッこまれ続けるその父

かといって、サイコでない犯人像、例えば「個人的な快楽以外の目的のために爆弾を効果的に使ってくる知能犯」といった描写も無いのですよ。「目的」があるのか無いのか分からないということはひとまず措いて、終盤で病院を襲撃するときに病院内に張り巡らされたエアシューター(昔のラブホで料金払う時のアレ)を利用して爆弾を移動させて爆破するシーンも、どの爆弾がどの位置にあるのか把握していると思われる描写が無いので、ただ思いつきで爆破しているようにしか見えません。
昨年公開の『黄金を抱いて翔べ』は爆弾の製造から使用まで丁寧に描いている作品だったんですがねぇ(原作も面白かったです)。こう考えると、『ダークナイト』の敵役・ジョーカーは両方を兼ね備えていたんですな。

『ロックマン2』よりエアーマンの必殺技・エアーシューター(関係無い)

○年齢制限とは関係無いけれど…
年齢制限には関係無く、描写が雑に感じる点もいくつかありました。
例えば、鷲谷がカウンセリングを行っていた志村(染谷将太)が少年院を出た後に鷲谷のもとへ訪れるシーン。脳男だけが志村が再び罪を犯していることに気付くというシーンでもあるのだけれど、その理由が「腕に噛み傷が付いているのが見えた」というもの。

え…。

噛み傷なんて志村本人も付けられた時に気付くだろうしさ、その傷が見えてしまうような半袖シャツをわざわざ着ないでしょ。百歩譲って「出所したばかりで半袖しか持ってなかった」としても、これが理由だと脳男が「人より洞察力が優れている」というよりは「単に視力が良かった」だけにしか見えないです。

鷲谷に脳男の分析を依頼する茶屋(江口洋介)はそもそもこの物語に必要だったのかどうかすら怪しいです。昔気質の刑事といったキャラクターなのだけれど、何かといえば鷲谷の推測なんかにケチつけるだけ。昔気質だからこそ出来る捜査(地道な聞き込みなり、「刑事の勘」を頼りにゴリ押しする捜査なり)は一つも出てこないし、演技のクセも相まって、ただただうるさいだけでした。

茶屋刑事。『ガイアの夜明け』の案内人のように落ち着いていればなぁ。

脳男の幼少期のエピソードも要らなかったんじゃないかなぁ、どこかで100回くらい聞いてるような話だし。少なくとも回想シーンはもっと短くても済んだような気がします。

あと、音楽演出が微妙だと思いました。
爆弾魔の出てくるシーンはクラシックが流れるんだけど、先にも言っているようにそもそも犯人のキャラクターが定まっていないせいで何の効果にもなっていません。
あと、主題歌に選ばれているのがキング・クリムゾン『21st Century Schizoid Man』なんだけど、この作品と何の関係があるんだろうか。確かに脳男は「鑑定結果を一見すると正常そのものだけれど、実は…」みたいな設定だったけど、これは精神異常とは別の話なんじゃないの?
もちろん曲はかっこいいのだけれど、それだけで選ばれてもねぇ…。
二時間強の時間を吹き飛ばされたって意味では絶妙な選曲かもしれないけどw

King Crimson "21st Century Schizoid Man"

○なぜ揉まないのか?
ここまで色々と文句を言ってきているわけですが、正直なところこの問題に比べたら些細なことだしどうでも良いんですよ。

その問題というのは…「パイオツ非揉み問題」です。

爆弾魔の二人ですが、水沢が緑川にベッタリということもあって同性愛的な描写があるんですよ。
その中で緑川が水沢の胸を揉みしだくシーンがあるのですが、ビジュアル的にも肉感的にもエロスが皆無なので何とも思わないわけですね。

水沢役の太田莉菜さん。モデルとしてはカッコ良くて素敵なんですけどね。

こっち見んな!

で、「エロスには期待できないか…」と諦めかけたその時、緑川が占拠した病院で、鷲谷を手術台に縛り付けて人質にとるという展開があるんですよ!しかもメスでシャツの胸元を切り裂くっていう!!

スレンダーだけどこの谷間!

もうブラ(エロい感じのやつ)も見えていることだし、あとは緑川が今そこにあるおっぱいを揉みしだくだけじゃないですか!!
心のファスナーを下ろしたとき、目の前に広がっていた光景は…


「緑川が鷲谷の顔面に唾を吐く」


…。
…………。

いや…まぁ確かに…そういうプレイが好きな人もいるんでしょうけど……。
ここでそれ?それだけで終了…?

劇場にいた大多数の男脳がイメージで補完したであろうことは言うまでもないですな!!

- - - - - - -

あんまり文句言ってばかりでもしょうがないので、この辺で終わりにしようと思います。
「のう」ということで最後はこれ。

電気グルーヴ "N.O." (Live at SHIBUYA-AX, 2008)

読み方「エヌ・オー」だけどね!

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