2013年9月16日月曜日

江ノ島プリズム

1回観てきました。


『江ノ島プリズム』予告編


映画.comの作品紹介ページからあらすじを引用。
城ヶ崎修太、木島朔、安藤ミチルの3人は幼い頃からの親友だったが、朔が心臓発作で亡くなって以来、修太とミチルも疎遠になっていた。朔の三回忌の日、江ノ電に乗り込んだ修太は、偶然にも2年前の朔の死の前日にタイムスリップしてしまう。修太は困惑しながらも、過去を変えることで朔の命を救おうとするが……。

ポスターや予告編を見ても分かる通り、青春ものです。
主人公は男二人・女一人という鉄板構成。欲望の三角形ですよ(そんなに関係ない)!

主人公たちが高校生ということで、キャストがみんなフレッシュでした。

過去に戻って運命を変えようとする城ヶ崎修太(福士蒼汰)
仮面ライダーフォーゼ以降、テレビでも映画でもよく見かけます。

心臓に病を抱える「クールな秀才」系の木島朔(野村周平)
docomoだとか積水ハウスとかCMで見かけてたんですね。

イギリス留学してしまう安藤ミチル(本田翼)
ばっさータイプなんですよ(必要ない私情)

修太にアドバイスする今日子(未来穂香)
メズール人間体でもあり、中村でもありました。

もう凶悪なまでのキラキラ青春描写
キャストのフレッシュさと配役に加えて、舞台といい撮り方といいキラッキラしてんですよ。

例えば、舞台はタイトルにもあるとおり江ノ島です。「海が近い」というだけで、なんかもう青春度合いが3割くらい増すじゃないですか(断言)。
去年にやってた『つり球』も好きだったので、江ノ島というキーワードだけでもワッキワキしました。

『つり球』PV
女の子はかわいいのに男4人のイチャイチャが眩しかった作品。

そんな海沿いを、自転車で駆け抜けたりするんですよ。
しかも夏の青くキラキラした海ではなくて、冬の少し色の鈍った海。修太が戻る過去は、決して明るくない未来(=朔が既に死んでいる現実)に繋がっていることを考えると、時期の選び方も凝ってるなぁと思ったり。

海沿いを歩く修太とミチル

夜の校舎に忍び込んで冬にやる花火なんてのもグッと来ました。
あれですか、普通の高校生活送ってたらこういう経験するものなんですか分かりません

冬に花火をうちあげる三人
仕掛けが盛大すぎてちょっと浮いてはいるのだけれど。
花火の〆は、当然ながら線香花火でしたよ!

それから、これはもう青春ものの定番かも知れないけれど、窓からの柔らかい逆光(岩井俊二的なアレ)を使ってました。外界から離れた学校という閉じた空間/時間と、それが永遠ではなくいつかは終わりを迎える儚さを同時に感じさせる撮り方。

同じようなところで言うと、小学校時代の三人が山頂で見る虹や、理科室で窓際にプリズムをぶら下げて教室に作る虹なんてのも移ろいの表現でした。

画像だと分かりづらいけど、窓際にプリズムをいくつも吊って↓

外から光が入ると教室内に虹ができるというイタズラ。

もう、本当に、キラキラしていてねぇ…。
個人的には高校時代なんて何も楽しくなくて大嫌いだし、具体的に何が嫌だったのか思い出そうとしても、今となっては汚泥のはるか底深くに沈んでしまってるので引き上げられないくらいですよ。
この年になっても未だに生意気盛り終わらない反抗期こどなの階段行ったりきたり(ヘタすると降り気味)でこの時期のことに心を囚われ続けている思春期プリズナー(無期懲役)からすると、本当に羨ましい限りですよ。
こういう高校生活は!

Megadeth "Take No Prisoners"
全く関係無いけど、なんとなく貼っておきます。

そんな青春キラキラに気圧される一方で、どうしても気になってしまったのが設定の甘さでした。

例えば、「修太が現在に戻ってしまうのは心臓がドキッとしたとき」という設定。
初めは現在に戻ってしまう理由が分からなかった修太に、「タイムプリズナー」こと今日子がその法則を説明するというもの。
たしかに、修太はボールがぶつかったりしてびっくりすると現在に戻ってしまうのです。

ロレントの必殺技「テイク・ノー・プリズナー」
もちろん関係無いですが、カッコいいので貼っておきます。

ただ、この説明を受けた後にも修太がドキッとなっているシーンはあります。

一つは、花火をするために夜の校舎に忍び込んだとき、朔が修太を驚かすというシーン。
まぁ、これは友達同士のからかい合いとも言えるから修太が驚いてなくてもおかしくはないです。

過去に戻った修太と死ぬ前日の朔
修太は左手に巻いた青い腕時計の力で過去に戻ります。

もう一つは、修太が今日子に肩を叩かれた時。
修太が「もう少し普通に出てきて」という内容のセリフを(たしか)言っていたし、これは今日子が修太に教えた現在に戻らないための対処法(「未来のものを身につけない」というやつ)を実行するより前だったはず。

タイムスリップについてアドバイスをする今日子とそれを聞く修太
元仮面ライダーとその前シリーズの敵だと思うとワクワクしますね。

気になった設定のもう一つは「過去を変えすぎると自分に関わった人間から自分の記憶が消える」というもの。
物語も後半に入ってから今日子にいきなり言われるし、理屈としてなかなか飲み込みづらいと思いました。「改変した過去以降の記憶が消える」のならまだ納得できるんですけどね。
もしこの設定なら、関わった人から全ての記憶が消えてしまう場合というのは、私みたいに「受精の瞬間からやり直したい」と願った人じゃないと成立しないですよ。

まぁ、私はSFにかなり疎いほうなので、もしかしたらその手のジャンルでは定番の設定なのかも知れませんね。
ただ、もしそうだったとしても、その説明の仕方はあまりうまくないように思います。
例えば、「今日子が古ぼけた写真を見つめる」といったシーンを前半のうちに示しておいて、「今日子自身もそういう目に遭った」ことを匂わせる描写がこの設定の説明以前にあるべきではないかと。

後半で「今日子がそういう目に遭った」ことは彼女の口から仄めかされるけど、それだけではちょっと物足りなかったかなと感じました。

でもまぁ、そんなことはどうでも良いじゃないですか(転調)。
朔に渡すようにとミチルが修太に渡した手紙は、修太の予想していた「ミチルから朔への想い」が書いてあったのではなくて、実は「『ミチルから修太への想い』を朔から修太に伝える」ように書いてあったという真実(色々メンドクサイ!)が判明したわけだし。修太は何とか朔を死なせずに済んだわけだし。

後から分かる事情を考慮すると、「留学することを突然伝えたら、心臓への負担を押してでも朔はダッシュして追いかけてくるかも知れない」という幼馴染なら多少でも頭を過ぎりそうな予測を百歩譲ってミチルが立てられなかったとしても、結果的にはミチルが二人に事情を説明することも無く手紙だけで事を済ませようとしたおかげで間接的に朔を死なせてしまった(これは顔を合わせられないよなぁ)というのが改変前の現実なわけですよ。

これに比べたら、朔とミチルから修太の記憶が消えてしまった改変後の現実の方がよっぽど幸せなんじゃないですか。

修太の記憶が消えちゃっても、3人の友情は永遠なんだぜ…

なんか良さげな雰囲気でお茶を濁してこの辺りにしようと思います。
最後に、安直にこのMVを貼って終わりにしようと思います。

m-flo "prism"

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